将来の目標について
私は将来、学校の先生になろうかと思う。
理由は単純だ。小林よしのりの戦争論を読んで、戦前の日本人に対し素直に凄いと思ったからである。
私はこの国の政治家の為には多分死ねないが、故郷や父母や姉や友人や文化や歴史の為ならば死ねる気がする。
軽い気持ちでそんなことを考えるもんじゃないが、少なくとも親しい人の為なら私は死ねると思う。
そりゃあ誰だって死になくないだろうけども、私は親兄弟家族友人といった人が死ぬぐらいなら、自分が死んで他を守ってやるぐらいの気持ちはある。
それがどうして学校の先生になるのだろうか。自衛隊にでも行った方がよっぽど言い分が通ってるじゃないか。そう思う。
でも、私はその前に、人々の意識をもう少し変えていきたい。
私が高校に通い始めて2か月。
今日自転車でこけた。今までで通算3回目である。3回とも人通りの多い生活道路でのことだが、今日初めて「大丈夫ですか」と声をかけてもらった。
「今時珍しい物だ」と思った。そしてこんな風に思う自分が少し情けなかった。
少なくとも1回は、人の目の前で転んだのである。
その時目の前にいた人は、自転車を起こした時にはもういなかった。
きっと急いでいたのだろう。そう思い薄情だとも思わなかった。
でもこんなんじゃだめだ。困っている人ぐらい助けられる懐の広さがないと。
だから私は学校の先生になろうと思う。
そして子供たちに、戦前の日本人の精神、つまりは新渡戸稲造の「武士道」だとか、もっと抽象的には道徳心、公共心といったものを教えたいと思ったからである。
人の意識を変えるにはまず教育から。私は先生になって、日本人としてのアイデンティテイを自覚させ、この国の文化や歴史に敬意を持ってもらえるようになりたい。
そして私は少しでも、この日本という国が、日本人という人々が、昔のような気概と誇りを持ってくれるようになったらいいと思う。こまっている人に手を差し伸べられる人が増えればいいと思う。
私の中で明確に、これほど明確に将来の目標が定まったことは今までにない。
この時の意思を忘れないでいたいものだ。