一人称と三人称について
男で一人称わたしはおかしいのだろうか。
学校では俺だが、こうして家にいるときは一人称が私である。
他にも、~だろうかを~かしらねと言ったり、思わなかったを思わなんだと言ったり、どうも日本語が変な気がしてならない。
オネエ口調とか言われるのは嫌だし、かといって治せそうもない。
この間姉に聞いたら、面接とかの正式な場では僕や自分より私の方がいいそうだ。
そして、三人称である。
姉はお姉さんと呼んでいる。
祖父母はじいちゃんばあちゃんと呼んでいる。
父は親父で、なぜか母はママ呼びなのだ。
私は思う。将来結婚して子供ができたら、ママパパ呼びは絶対にさせない。
正直言って、15にもなってしかも元柔道部の体のでかいおっさん呼ばわりされるような奴が母親をママってのはないんじゃないか。
はっきり言って気持ち悪い。客観的にみるとキモイ。
しかし、きっかけもタイミングもなく、昔からの呼び方が定着してしまったのだ。
どうにかして直せないものか。
自分で書いてて悲しみと吐き気が込み上げてきたので、もうこれぐらいにしよう。
しかし、読み返してみるとどうも細かいことでうじうじ悩んでいるのは女々しい気がする。
本来自分は自虐的で根暗で無気力でネガティブでネチネチと細かいことを気にする女々しい野郎なのだ。
それを学校や人前ではなるべく明るい真面目な活発な奴であるように演技してるからこうやって家で持ち前の根暗さを発揮するのである。
しかし、たまに演技を本物と錯覚してしまうこともある。
というか、演技してる自分も確かに自分の一面なのだ。
どうも内と外でキャラが違いすぎる気はするが、相反する二面が確かに自分の中にはある。それも沢山である。
だから、今の班の班長のU君(中性的な顔立ちで、運動神経は良くないが足だけは速い、真面目で品行方正、容姿端麗、ハンカチティッシュ常備、ファンシーな小物大好き、水筒とかも常に持ってる、細かい気配りが得意)
の事を女々しいと思う自分がいる一方、それよりももっと欠点の目立つ自分が人様のことを偉そうに意見できるものか、と思う自分もいる。
ああ、なんだか愚痴日記になってしまった。いつの日かこれを見返したときに笑い飛ばせる自分であってほしい。今日はそう思った。